香港返還 直前・直後リポート 第二回

小松 和夫
- 香港の歴史を追う -

 中国5千年の歴史の中で、香港が登場してくるのは、御周知の通り、第1次アヘン戦争(1842年)からと言っていいかと思います。英国の東インド会社は、中国の広州(ここのみが貿易の窓口:かつての日本の長崎と同じ意味)より中国産の茶葉を輸入しておりました。銀で貿易決済をしていましたが、このままでは、英国側の入超となり、銀がどんどん出て行くことになります。

そこで、考えられたのがアヘンを売ることでした。「アヘンを飲めば細く長く生きられる」と中国では信じられていたようです。1821年以降になると、人間の身体を蝕むだけでなく、今度は中国が入超となり大量の銀が貿易決済の為に出ていくことになります。そこで、清国はアヘン禁止すべく林則徐を鉄差大臣として広州に向かわし、林則徐は虎門(*1)にてアヘンに塩と石灰を混ぜ海に投げ捨てた訳です。これに腹を立てた英国軍は広州攻略後、長江に入り、南京に迫りました。この南京条約により、英国は香港島を植民地として割譲した訳です。

当時の香港は、まったく経済的価値のある所ではありません。当時、英国側の交渉責任者であったチャールズ・エリオット大佐(香港貿易監督官)は、人も住めないような島しか割譲出来なかったことで本国に更送されてしまった程です。しかし、英国政府は、中国進出の足掛りをこの香港に求め、アヘンの密輸を中心に経済的基盤を確立しつつ、政庁、貿易会社、港湾等の整備を実行していきました。
 当時アヘン密輸船は、1年に十ドルの登記料を香港政府に払い、英国籍とし、清国政府は外国船を臨検出来ません。ところが、広州珠江に停泊していたアロー号を清国当局が臨検したことから再度戦争となりました。(実際は登記期限は切れていた)  これが第2次アヘン戦争(1856年)です。また列強諸国(英、仏、独、米、日、等)の中国侵略中のどさくさに便乗して、1898年、英国(香港)は「香港境界拡張専門協約」により99年間の期限付き租借で新界地域(現ニューテリトリー地区)を植民地とします。

 その後、1910年金融貿易所設立、1935年管理通貨制を敷き香港上海銀行券をカレンシー(香港の通貨)とします。このころになりますと、英国の重商主義政策の基、商社を始めとする多くの英系企業が香港に投資を始めてきます。1936年の香港の人口は100万人となりました。
 1938年、広東省をほぼ占領した日本軍は、香港への侵略を伺っていた。1941年12月香港敬徳空港を空曝の上、沙頭角と羅湖から侵攻し、8日間で香港を陥落させて仕舞い、ペニンシュラホテル(*2)にて英国ヤング総督との間で降伏調印が行われました。こうして、1945年8月末に英国軍が再び入港するまで日本が占領統治した訳です。この間日本軍による略奪、虐殺、拷問、破壊、暴行等が行われたことは言うまでもありません。(*3)(*4) この日本軍占領下では160万人の人口が60万人まで減少しております。(強制撤退による理由もあります)

 戦後は、大陸(中国)内での国共内戦や共産党の弾圧により、上海人を始め多くの中国人が香港に逃げてくることになります。特に、上海人は資本家でもあり、このような人々が香港でも軽工業や貿易業を中心に商売を手掛けるようになり、香港発展の原動力となった訳です。ちなみに、香港特区初代行政長官である董健崋氏は、この上海系です。また、有名な長江の実業の李嘉誠氏は潮州系です。人口は、1951年200万人、1961年317万人、1971年405万人と増えていきます。
 1973年為替管理法の撤廃を受けて、その後の香港には多くの外国金融が集まるようになりました。こうして、世界に冠たる国際金融センターが誕生して行くことになります。(*5)

(*1) 東莞市虎門は「アヘン戦争人民抗英記念館」が建ち、現在中国政府から「愛国主義教育基地」にしていされておりますが、しかし、既に遊園地になっていると聞いています。
(*2) 香港のペニンシュラホテルの刻印が入ったチョコレートが日本の若い女性に人気があるようです。でも、こうした事実を知っているのでチョコレートをかじるのでしょうか?
(*3) よって、嫌われる方は「日本人が中国人を」ではなく、「中国人が日本人を」であることを今の日本の若い方々に歴史的に理解して頂きたいと思います。従って、尖閣諸島(魚釣台)の問題が一端起これば、ここ香港では、即、日本軍国主義(プラカードと垂れ幕)となりデモが起こります。
(*4) しかし、今日でも、6月11日付「東方日報香」によると、日本人男性によるチカンが香港でも横行しているようです、エレベータ内で女性のお尻を触ったり、エスカレーターで一段上にいた女性のスカートの中を小型カメラで盗み撮っていたと言うことです。いずれも警察により御用となりました。日本人は今も昔も変わらないのでしょうか?
(*5) さて、この続きは「Vol.6」(スーパーコラム)に継げたいと思います。Vol.6をご覧下さい。