北上川と猿ヶ石川が合流するところに「イギリス海岸」がある。
「イギリスあたりの白亜(白亜紀・約1億年前)の海岸を歩いているようだ」と 、宮沢賢治自ら名付けた。
 宮沢賢治は、日本を離れたことはないが、あらゆるところを舞台として物語を書き続けた。(宇宙や四次元、人のココロさえも。)
 だが、多くが花巻の風景がモチーフなのです。
 それが、「宮沢賢治の世界」なのです。
 ■よだかの星■
 童話『よだかの星』の中で、よだかが最後に天に登る様を表現。
 賢治が法華経を埋納しようとした32の山「経埋ムベキ山」のひとつ、胡四王山の中腹に全国のファンからの基金により1982年開館。
 館内は、環境・信仰・科学・芸術・農村・総合・資料等に分けられ、ビジュアルを多用し手帳や童話・詩の原稿、愛用のチェロなどを展示。
■南斜花壇■
 宮沢賢治が羅須地人協会時代の教え子の依頼で設計したもの。生前、実現できなかったものを、当時の設計書から再現したもの。
 宮沢賢治に関する様々なジャンルの芸術作品、研究論文を数多く収集し、一般に公開している場所。
 また、賢治作品の愛好者・研究者の集まる本部もあり、宮沢賢治に関するシンポジウムの開催なども行っている。
※いづれも、
  花巻駅〜バス20分
  新花巻駅〜車で40分
開館時間:9:00〜16:30
休館日:12/28〜1/4
   (記念館〜1/1)

■賢治の学校■
 宮沢賢治の童話をテーマに、童話の世界を体感できるアミューズメント施設。 「賢治の学校」をはじめ、宮沢賢治 の童話の世界を体感することができる。

  東京に生まれ育った高村光太郎が花巻を訪れたのは、 太平洋戦争末期の昭和20年5月のこと。
 この戦争の空襲でアトリエを焼失、  宮沢賢治の父・政次郎を頼り疎開。
  その年の秋、「高村山荘」で独居自炊生活開始。
 以来、7年間この地で創作活動を続けた。 現在も「高村山荘」は、光太郎が生活していたまま 残され、高村記念館には遺品や作品が多数置かれている。
「高村記念館」
『雪白く積めり』詩碑
「智恵子の泉」
「智恵子展望台」
など。
 高村記念館
 毎年5月15日
 このお祭りが行われる日は、高村光太郎が花巻に疎開した日です。 昭和33年、光太郎が亡くなった翌々年にはじまった。「高村山荘」 にある「雪白く積めり」の詩碑前で、献花や献茶、詩の朗読、などが 催されます。

雪白く積めりの詩碑

 花巻駅車〜バスで20分
 新花巻駅車〜で40分

 開館時間:8:00        〜17:00
休館日:12月16日       〜3月31日



花巻まつりHOME 日本の祭り〜映像ライブラリーバックナンバー

MBホーム * JCCホーム

みなさまのご意見、ご感想をお寄せ下さい。
地元のお祭り情報なども募集中です!
mmbc@jcc.co.jp まで

このページはインターネットプロバイダー「ASAHINET」さん、
「Infoweb」さんのご協力を頂いています。