戦国大名、毛利元就。 その元就を支えたのが両川体制の一翼「吉川氏」である。 「吉川氏」が築いた岩国の城下町は、今なお当時をしのばせる 歴史的遺産が残されています。 |
岩国は、平安末期の『岩国氏』、その後大内氏の属した『弘中氏』、 そして毛利元就の支配に続き、1600年『関ヶ原の合戦』を機に、 出雲の国『富田月山城12万石』から岩国3万石(後、6万石)に移封された 『吉川広家』により、近世岩国藩の幕が切られ、城下町として栄えた。 岩国藩は、藩主にして13代/270年の間、藩政の方針として文武両面の人 人材育成・文化の向上に努め、なお2,000余町歩の大千拓を行い、産業の奨励 と勤倹貯蓄の美風に勤めた。 岩国藩は、幕末に至るまで宗家(毛利家)の支藩としての悲哀を辿りますが、 藩内は産業が盛んで学問や武芸の水準も高く、山陽街道の中でも特異な藩として 知られていきます。 |
以来、山下の居館だけで藩政治が行われていき、第2次世界大戦後、昭和32年 「岩国城天守閣再建期成同盟会」が結成され、昭和37年に再建されました。 再建された岩国城は、錦帯橋付近からの景観を考え、旧天守跡から南にずらして 建設されました。 |
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