戦国大名、毛利元就
その元就を支えたのが両川体制の一翼「吉川氏」である。
「吉川氏」が築いた岩国の城下町は、今なお当時をしのばせる
歴史的遺産が残されています。
岩国の歴史

 岩国は、平安末期の『岩国氏』、その後大内氏の属した『弘中氏』、 そして毛利元就の支配に続き、1600年『関ヶ原の合戦』を機に、 出雲の国『富田月山城12万石』から岩国3万石(後、6万石)に移封された 『吉川広家』により、近世岩国藩の幕が切られ、城下町として栄えた。

 岩国藩は、藩主にして13代/270年の間、藩政の方針として文武両面の人 人材育成・文化の向上に努め、なお2,000余町歩の大千拓を行い、産業の奨励 と勤倹貯蓄の美風に勤めた。

 岩国藩は、幕末に至るまで宗家(毛利家)の支藩としての悲哀を辿りますが、 藩内は産業が盛んで学問や武芸の水準も高く、山陽街道の中でも特異な藩として 知られていきます。
岩国城

 岩国城は、1608年に「元就」の孫にあたる「吉川広家」=岩国藩初代藩主が 築城した桃山風南蛮造りの山城です。徳川幕府の『一国一城の制』によりわずか 7年で破却の運命を辿ります。
 以来、山下の居館だけで藩政治が行われていき、第2次世界大戦後、昭和32年 「岩国城天守閣再建期成同盟会」が結成され、昭和37年に再建されました。
 再建された岩国城は、錦帯橋付近からの景観を考え、旧天守跡から南にずらして 建設されました。
錦帯橋

錦川に架けられた5連のアーチ型木橋。
 架橋は、1673年築城技術と組木の技法を最大限に生かし完成させた。しかし、 昭和25年(1950)、岩国地方を襲った『キジヤ台風』よりくしくも濁流に 飲まれてしまった。そして、岩国市の象徴でもある錦帯橋は3年後の昭和28年 (1953)に復元されました。
  シロヘビ
(国の天然記念物)
 国の天然記念物「岩国のシロヘビ」は、世界で岩国だけに生息しています。 明治維新後は川岸や民家などにいたのだが、最近はシロヘビの数も減少 した為観覧施設などで飼育されている。
 シロヘビは弁天様の御遣いで、金運・幸運を招くといわれています。
 特徴は白い姿にルビー色の目。

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