「中国と日本では何が一番違うか」

孔健



 日本に来てもう何度も繰り返された質問だ。その度に私は苦笑する。違うといえば何もかも違うからだ。
 しかし、それでは質問の答えにはならない。
 だから私は、たいていの場合は「最も違うひとつに時間の感覚があると思う」とこたえることにしている。
 日本人は「時間」に対していつも“有限”であるという感覚を持っているように思える。

 日本の企業が中国に進出してきて、最も困惑する理由の一つは中国人の時間に対するルーズさだとよく言われる。もちろん、日本人が、そういうのである。この時点で、すでに日本人と中国人はすれ違っているといっていい。日本人がルーズと見る中国人の時間に対する感覚が、中国人にはわからない。
 日本人は言う。約束の時間に来ない。日本人は約束した時間の何分か前に来るのが常識だと言う。そうしなければ何事も始まらないからだと言う。

 ところが中国人は、そうは考えない。大切なのは会うことであって、決められた時間ではない、と。“会う”ことからスタートするのが中国人なのだ。会う時間が多少ずれたところで、会えさえすれば、いいと考えるのが中国人だ。
 誤解のないように言っておきたいが(そのあたりがすでに日本人と中国人の違いなのだが)約束した時間を守らなくていいと中国人が考えているわけではない。約束を守ることは、中国人にとって、人生の中で最も重いことなのだから。

 では何故約束の“時間”に来ないのか、と日本人は言う。一時十五分に会いましょうと言えば、一時十五分に来るべきではないか。それが約束だと日本人は考える。この場合日本人にとって一時十五分が全てとなる。
 中国人から見れば、日本人は時間にしばられている思う。
 一時十五分は目標であって、決定的な時間ではない、と中国人は考えている。一時十六分に来たらダメだ、とは考えない。そう言う場合の一分の差など、人生にとって何ほどのものでもない。大切なのは“会う”そして“いい会い方”をすることだ。

 もう一度誤解されないために言うが、一分の差が、いつも何ほどのことでもないと中国人は考えているわけでもない。一分で人生が変わることも知っている。しかし、それはまた別の話だと考えている。
 時間は一時十五分しかないのではなく十六分も、十七分もあるのだというのが中国人の考え方だ。

 つまり、日本人にとって時間は、全ての行動基準となっているように見える。しかも、その時間は“止まっている!”。日本人はスケジュールをたてる時、必ず時間を規準にし、(それは中国人も変わらない)その規準が全てと考える。そこが中国人とは違う。スケジュールの時間はあくまで目標であって、それより早く出来ることもあるし遅くなる時もある。大切なのは、いかにいい仕事をなしとげるかだ。
 そうした中国人から見た日本人は、時間にとらわれすぎている。時間は無限であって常に動いている。その中で、いかに生きるかが大切なのだ、と私は思う。