宇宙統一を目指して下さい。青木さん。




多比羅悟


 ペルーの日本大使館占拠事件については、この日本電算機のサーバーにも情報が掲載されている。青木盛久元大使がたいへんな批判にさらされたが、私はほとんどこの人物に関心を抱かなかった。私が好きなのは、良かれ悪しかれ、あるいは有名であれ無名であれ、『非凡』な人物である。率直に言って、私の尺度では、青木氏は凡庸の域を超えていなかった。したがって、コラムで取り上げるに足る人物とは思わなかった。

 このような先入観のせいで、私は、多数の雑誌に掲載されている青木氏の発言はマ スコミのバッシングと大使解任によるショックが引き起こした知的衰弱の表れであると思っていた。すなわち、逆境に弱い凡人のたわごとに過ぎないと評価していた。しかし、現時点であらためて考え直すと、青木氏は凡庸ならざる人物である。  半月ほど前、日経新聞に、ニューヨーク発の小さな記事が載った。ニューズウイークによる青木氏へのインタビューについての記事だった。記事によると、青木氏はこのように述べている。「テロの警告や危険を顧みずに必要のないパーティーをしたから事件が起きたと信じられているのであれば、日本人が平和主義のぬるま湯から出ていない証拠」

 何度読み返しても、私には誤訳だと思えたのだが、優秀な日経新聞の記者がそんな間違いをするとは考えにくい。となると、青木氏はこう言っているのだ。「確かに私はテロの警告を無視して必要もないパーティーをやった。しかし、テロリスト達が、私が無警戒で要らぬパーティーをしていると知って、大使館占拠を実行したとは限らない。もし、パーティーを必要最小限のものだけに絞り、厳重な警戒態勢の元で行ったとしても、いずれ、このような事件は起こったはずだ。したがって、テロの警告や危険があるにもかかわらず、どうでもいいようなパーティーを無警戒体制で強行して も、何ら問題ないと考えるのが、平和主義から脱却し、リスクマネージメントに精通した人間なのだ」

 おそるべし、青木氏。日本の常識ばかりか世界の常識をも覆す異才の人である。また、こうも言っている。
「私を解任すれば、もう日本にとっての危機が再び起きないと考えるなら、それは間違いだ」
 これも誤訳ではないかと思ったが、もし誤訳でないとすると、やはり、青木氏は凡庸ならざる人物だ。

 青木氏を解任すれば日本には危機が二度と起こらないなどと考える大馬鹿者は、世界中に一人もいないので、彼の発言の正しさは、誰もが認めることであろう。彼はこう示唆している。「犯罪者一人を罰したところで犯罪が撲滅されるわけではない。だから犯罪者を罰してはいけないのだ。」
 記事によると、「事件解決直後の記者会見で喫煙したり、冗談を言ったのは世界に向けて日本人のガッツを示したかったから」だと言う。

 素晴らしいことだ。おそらく、青木氏の会見を見た世界中の人達の間で、「日本人はガッツがあるぞ」と大評判であるに違いない。ありがとう、青木さん、日本人の評判をとことん高めてくれて。
 解放直後の青木氏の会見を見たとき、「青木氏を大使に任命した人達は首が飛ぶぞ、へたすりゃ外相も辞任かな」と思った人は多いはずだ。しかし、実際には、外務省の上層部は安泰で、池田外相が棒給を一部返上するにとどまっている。彼らは、青木氏を切り捨てることで自らの安泰をはかったのだ。

立派なのは、やはり青木氏である。青木氏は、自分を裏切った彼らを許し、逆に守り抜いた。前述の発言の中でも、青木氏の批判の矛先は、外務省のお偉方ではなく、「日本人」すなわち我々市民に向けられている。サムライの異名にふさわしい忠義の人である。
現在、青木氏はマスコミにとっては大スターである。各誌が喜んで青木氏に反論の場を提供している。青木氏を煽り、もはや暴言か妄言に近い発言ばかりをさせている。しかも、これで発売部数が伸びる。無論、読者は青木氏に対する反発から、氏の意見を読みたがるのである。

 青木氏は、発言をすればするほど、共感を得られなくなり、立場を不利にしているし、復権の道を遠くしている。そんなことはお構いなしに、自己の主張を妄想路線に定めたのか、ますます青木節は好調だ。 文芸春秋の7月特別号にも青木氏の手記が載っている。タイトルは「我、ペルーの土と化すとも。名誉と弁明のためでなく、歴史の証言としてこれを残す」である。
 もともと、昼間から酒を飲んでいたことへの不信感あたりから始まった問題であった。凡人であれば、「日本の外交はシャンペン外交ですから」と言って、笑いでごまかそうとし、大いに顰蹙を買うくらいであろう。ところが、青木氏の場合、いよいよ、「ペルーの土と化すとも」にまで行き着いた。残すところ、「世界平和」か「宇宙統一」か。