デンバー・サミット、メンバー・アンリミテッド




多比羅悟


 先日、デンバーサミットの8カ国首脳宣言と7カ国経済声明が発表された。あまり面白いとは思わないのだが、年に何回もあることではないので、サミットのたびに我慢して最後まで読み通すが、やはり面白くなかった。面白くない原因は、私の知識不足であろう。
 一方、サミットの共同宣言や声明に関する新聞の解説記事は面白い。無難な表現で固められ形式的なものに見える宣言や声明に潜む、こちらの知らない各国や為政者の思惑を教えてくれる。面白い原因は、やはり私の知識不足である。

 「解説記事を楽しく読めるのも知識不足のおかげだ」などと、自分の無知に満足するには、私は少々欲が深い。やはり、解説ではなく、声明文そのものを興味深く読むことができる人には、羨望を抱かざるを得ない。私自身、大学での専攻は政治学だったが、関心がビジネス・ポリティックスの方向に向いてしまい、現在はコンサルティング屋である。政治のことは専門外だ。
 さて、サミットが行事化・形骸化しているという指摘がある。ということは、以前のサミットは中身があったということだろう。では、私達の何にサミットの影響が出ているのだろうか。

 例えば「プラザ合意」が我々の生活に大きく影響を与えたことは疑いない。それに較べると、サミットが直接影響を与えたと言えるものは少ないように思える。むしろ、サミットに源を求めるよりも、他の事象に原因を求められるものばかりのような気がする。このような考え方が増えるとどうなるか。「サミットなんかやめてしまえ」となりがちである(私はそうは思わないが)。サミットの影響力を見いだせないのは、私自身の政治に対する無知が原因であろう。

 今回のサミットにはロシアも加わった。ロシアの企業では日本や米国の企業を買収する力はないが、韓国の企業にはある。ロシアを入れるぐらいなら韓国が先だと考えるのは、私が政治無知の経済偏重野郎であるからだ。コーカシアンよりもモンゴロイドを優先したいという人種差別主義者だからではない。  サミットは現在8カ国で構成されている。ロシアまで入れるようではすぐにでも10カ国になろう。その後はたぶん増加しつつけるだろう。従業員にせよ議員定数にせよ、増やすのは簡単だが減らすのは非常に難しい。いったん入れてしまえば、後からやめろとは言えないものだ。

 ロシアは経済でも人権でもインフラでも、代表的な先進国とは思えないし、同程度の国はわんさかとありそうだ。軍事は凄いのかも知れないが、20年ほど前、オルドリッチの著書を読んで以来、私は旧ソ連の軍事力を評価していない。もっとも、そう評価したのは、私が昔からテクノロジーとロジスティックスの至上主義者だったからだろう。  ロシアの加盟は、ロシアがかつての超大国(の一部)で、旧東側の盟主であったからだろう。サミットも、いずれ国連安全保障理事会の理事国なみに、地域に配慮した選出がなされるようになるかも知れない。サミットの主旨からして、これは奇妙だと思うが、政治感覚とはバランス感覚という人もいる。単に、私に政治的バランス感覚が欠如しているからだろう。

 こう書くと、ロシアの加入がそんなにおもしろくないのかと叱られそうだ。ロシアが嫌いなわけではない。ただ単に事象として、ロシアの加入がサミットの歴史的意味の終焉のきっかけとなったと思っているだけである。政治に関しては、ずぶの素人である私がそう思っても、たいした意味はないだろうが。