スーパーコラム




伊藤聡子


7月3日、ついに私は30才になった。
そして、30才になった日に、私は番組で14才の少年を凶行に走らせた背景を探っていた。
30才。気が付いたら、いつ母親になってもおかしくない、いや、もう遅い方かもしれない年令になっていたのだが、こういう事件が起きると、本当に親になることが怖くなってしまう。 何故なら、今回、淳君を殺害した容疑で逮捕された少年の家庭は、えっ?と思う程、ごく普通の家なのだから。 父親は大手企業のサラリーマン、母親は地域のボランティア活動に熱心で、家族で仲良く卓球までしていたという。周囲から見たら、れっきとした善良家庭なのだ。 しかし、この一見善良な家庭で、事実、この少年は育ってしまったのだ。 未婚の私でさえ恐怖に感じるのだから、子どもを持つ世の中の母親たちのショックははかり知れないだろうと思う。

少年犯罪、あるいは、いじめ自殺などが起きると、マスコミは必ず学校の責任とか、義務教育のあり方とか・・・たたきやすい方向に目を向けがちである。でも、その度に私は疑問を感じ、スタッフとも議論してきたつもりだが、一番問題にしなきゃいけないのは家庭。親子のあり方であると私は思う。学校にそこまでのことを求めるのはしょせん無理があるし、1人の先生が40人以上の生徒を受け持つという現状の中で、子供1人1人の人生を背負うのは不可能なのだから。その学校に全部まかせようと考える親がいるとしたら、それは、保護者責任遺棄にあたると思う。 一番身近な存在である親が正面きって子供と向かい合わないと・・・。

恐いのは、表面上いい親、いい子、いい家庭がいかに多いかということだ。皆で体裁をつくろっている。親は子供にいい成績を求め、いい学校に入れようと必死。でも、それは、親のエゴを満たすための材料になっていないだろうか。子供が本当に何を求め、何に適しているのか、素直に尊重してやろうという親はどのくらいいるのだろう。親だって仕事、趣味etc・・・自分のことで精一杯。「勉強しなさい」って言っておけば楽なのだ。

一方の子供の方はどうか・・・。自分のことで忙しい親の前でかなり幼少期から「いい子」であるクセをつけてしまう。それは親にとっての「いい子」であり、正しい判断がされないまま大人らしい子供になることを無言のうちに強要されてしまうのだ。 今回の酒鬼薔薇くんだって、14才とは思えない程、大人びた文章を書いている。小学校の卒業文集を見ても、その片鱗がうかがえる。

おそらく優秀な子だったと思うし、鋭い感性の持ち主だったに違いない。でも一方で人間としての正しい判断ができない子になってしまっていたのだ。 部屋にホラービデオがあっても、ナイフがいっぱいあっても、親は知らない。勉強ができていれば、別に問題はなく、それ以上子供について干渉しようとしないのだろう。動物を傷つけても、首を自宅に持ち帰っても親が気づかないなんて・・・と思うかもしれないが、子供が部屋の中で何をし、何を考えているか知らない親の方が、今、世の中では普通なのだ。 だからこの事件は本当に恐い。決してこの子だけが特別じゃないということを胆に命じて見つめていかなければならないとつくづく痛感している。