他人の人権を認めぬ者の人権〜酒鬼薔薇写真騒動
多比羅悟


 神戸の小学生殺害事件に関して、新潮社が容疑者の写真を掲載した。これに対し、 ほとんすべての人が反対を表明した。率直なところ、もっと新潮社擁護論が出ると思 ったが、筆者の知る限りでは、かなり時間が経ってから、立花隆氏が、大衆週刊誌で 写真掲載非難に対する反論をしたらしい(筆者は読んでいない)が、他には特に見あ たらない。
 筆者自身も、フォーカスに写真が掲載されたのは、新潮社が主張するような理由か らではなく、単に販売部数を伸ばすためだけであろうと思っているので、新潮社の法 律破りを養護する気はとてもない。しかし、それでも、人権を理由に新潮社を非難す る人が、きわめて多いのには非常に感銘を受けた。

 民主主義を否定する団体にも活動の自由を認めるのが真の民主主義であるとするな らば、ドイツの憲法は民主主義ではない。民主主義を否定する団体には憲法の恩恵を 認めていないからだ。
 なぜ、そのような憲法を作ったのかは自明である。ヒトラーは、ワイマール憲法と いう民主的な憲法の元で、合法的に政権を奪取し、独裁政治に移行したからだ。この 反省から、民主主義を否定する団体には言論や活動の自由も認めないという制限的で 戦闘的な民主憲法を採択したのである。
 神戸の事件の容疑者である中学生は、明からに、他人の人権を否定した。彼の人権 を擁護する人は、たとえ自分自身の人権を否定する人に対しても、その人権を認めて やるという覚悟のある人だ。筆者が感銘を受けたのはこの点である。

 筆者も人権を口にすることはできる。しかし、筆者自身や、あるいは筆者が大切に している人達の人権が侵害された場合、筆者は侵害者の人権を同じ程度に否定したく なるであろう。
 正直に言って、寛大で人間のできている人物が、世の中にこんなに大勢いるとは思 ってもいなかった。そして、それを広言する勇気を持つ人がいるとも思わなかった。 例の中学生の人権を養護する人達が、本当に人権を尊重する意思があるかどうかは、 本人達の人権が侵害されたときにわかるだろう。

 米国で、インターネット上の猥褻画像の取締のため、通信品位法が提起されたとき 、インターネット上ではこの法案の反対派が圧倒的に多数を占めた。理由は、プライ バシーが侵害されるということだ。反対派はプライバシー尊重をうたっていた、
 少数派として、エロ画像の跋扈は、発展途上のインターネットを、技術的に高コス ト化させる可能性があるという立場から、真面目なインターネット利用を推進したい 人が、賛成を表明したことがある。反対派の一人は、この人の住所、名前、電話番号 をネット上で公開した。立派なプライバシー尊重派である。この人には、自分の行為 が通信品位法以上に最低である理由がわからないだろう。
 一方、名前を公開された人は、この反対派の実名を知っていたが、報復として彼の プライバシーを暴くことはしなかった。賛成者のほうが、他人のプライバシーを尊重 する精神を持ち合わせていたのだ。
 この一件で、きれい事を建前にして物事を論ずる人達の低俗さ加減を、筆者は垣間 見ることができた。今回のフォーカス騒動では、感銘を受けた筆者を落胆させないよ う、人権派は今後の言動に気を使って頂きたい。