全仏オープン優勝 平木理化 笑顔の秘密
伊藤聡子


 久しぶりに爽やかな気持になる仕事をした!
ある雑誌の対談で、全仏オープンテニスのミックスダブルスで見事優勝を果たし、一 躍時の人となった平木理化選手に会ったのだ。高校時代から国際舞台で活躍していた 彼女、テニス界ではとても有名な存在だったのだが、申し訳ないことに私は全仏オー プン優勝のあの映像を見るまで、彼女のことを知らなかった。ただ初めて見た時に、 他のプロテニスプレーヤーにはない輝きを、私は、彼女から感じとっていた。
それは 、あの笑顔である。すがすがしい笑顔はスポーツ選手にはつきものだけれど、彼女は その中に、包みこむようなおだやかさがあるのだ。「彼女って、一体どんな選手なん だろう・・・。」私の中で、彼女は依然興味のわく対象として存在することとなった。

 願いというのは通じるもので、そんな時にタイミング良く、彼女との対談話が舞い 込んで来た。こういう点で、私ってけっこうツイてる方なのだ。ワクワクしながら、 彼女の勤めるNTT関東支社へと向かった。そう、彼女は、れっきとしたOLである。そ れも、パソコン、英語を自在に操る「スーパーOL」。テニス一本で生きていくプロプ レーヤーが多いなか、彼女は青山学院大学を卒業後、NTTに就職し、まさに2足のわらじを完璧以上にはきこなしているのである。知れば知るほど、興味深い平木理化ちゃん、25才。

 PM 1:00、約束の時間に、NTTの応接室にあらわれた彼女。ピンクのブラウスに、花柄のロングスカート、さりげない白のネックレスとイヤリングという清楚ないでたちで、「こんにちは」と深々と頭をさげる。そして、ニコッとほほ笑む。そう、この笑顔なのよ!この時気付いたけど、彼女のイメージは服のとおり「ピンク」なのだ。ほんわかした、あったかいピンク・・・。全仏制覇という快挙をなしとげた平木・ブパシというコンビは、パートナーを募集していた平木選手をブパシ選手が食堂で探し出して、急遽こしらえたコンビ。それも選手登録の前日というのだからすごい。顔も名前も知らない相手に不安はなかったのか、という問いに、「私もミックスダブルスは初めてでしたし、いい人そうでしたから。」と笑う。ブパシだってきっと緊張していたに違いない。けれど、楽天的に前向きに、来るものを決して拒まない彼女のこの笑顔にどれだけ救われたことだろう。

 試合が始めるまでほとんど会話もなかったという2人だが、画面を見た限り、ホン トに息がピッタリで、どちらかが決めると、どちらかがかけ寄って、ポンッと手をた たく、どう見たって仲良しなのだ。
「私と彼は、性格が似てるみたいなんですね。だから、言葉がなくても、お互い何を 考えているかわかっちゃうというか・・・。手をたたくのも自然と・・・気が付いた らやってたってかんじで。」
確かに、フィーリングがあう相手だったのかもしれない。でも、話している限り、彼 女ならどんな相手でもうまくやっていけただろう。ついさっき会ったばかりの私にも 、くったくなく、こんなにも自然に話せる人なのだから。

 中学の時から、全国大会で優勝するほどの実力を身につけていた彼女。テニスのエ リートコースを歩もうという気はなかったのか。
「私はやれることは何でもやりたかったんです。だから、テニスもやりたかったけど 、勉強もしたかった。大学も行きたかったし、就職もしたかった。ハタから見ると、 どうして?って思われたかもしれませんけど、私は私ですから。私なりのやり方で進 んでいきたかったんです。」
なるほど・・・。それはテニスにもあらわれている。彼女のトレードマーク”両手打 ち”もその一つ。あの打ち方、モニカ・セレシュがやったことでようやく認められた けれど、専門家の目からすると、あれはとんでもない打ち方だったそうだ。当然彼女 も直すように言われた。しかし、小柄な彼女がパワーのある球を打つにはあれしかな かったわけで、彼女にテニスを教えたお父さんも含めて、ガンとしてそれを受け入れ なかったそうだ。「私にはこの打ち方がいいんだ。」と。おそらくテニス一筋の道を 歩んでいたなら強制的に変えられたかもしれない。彼女流を貫いたことが、結局はい い結果に結びついていると言えそうだ。

 彼女は、WTA女子テニス協会の理事も勤めている。英語圏が主流のテニス界にあっ て、アジア人としては始めてなのだそうだ。それだけ人望もあついと言えるが、「最 初はどうしようかと思いました。けっこう大変だし、そんなこと引き受けるよりもテ ニスに専念したいって。でも、今世界のテニス界では、まだまだアジアの地位は低く て、日本でさえ、”テニスなんてする人いるの?”って感覚なんです。だから、ここ で私が断わっちゃったら、アジアの存在をアピールするチャンスがなくなっちゃうっ ていう気がして、引き受けることにしたんです。アメリカ主義の体制はなかなか変え るのは難しいけれど、まず第一歩としてアジアもちゃんといますよ!ってことを知っ てもらうだけでも違うのかなと思って頑張ってます。これもいい勉強の機会だと思っ て・・・とりあえず何でもやってみることにしてますから!」
あくまでも前向きに、どんなことでも受け止める彼女。あの笑顔のヒミツはこんな彼 女の生き方にあったのだ。
 2日後、全米オープンのために、今度はアメリカへ旅立った彼女。あの笑顔が生み 出すドラマをまた期待したい・・・。