インターネット時代におけるエンターテイメントの問題
宮尾尊弘

 インターネット時代を迎えて、新しいエンターテイメントの出現が期待されている。 特に自分の部屋にいながらにして、好きなマルチメディアのエンターテイメントが楽 しめたり、また世界の誰とでも一緒にゲームで競うことができるといったイメージが 広がっている。
 しかし米国の現状をみると、そのようなイメージで起こされたビジネスが成功して いる例はあまり聞かない。例えば、インターネットを使ってゲームを配信するベンチ ャー企業が次々と失敗している。その理由は何であろうか。
 恐らく日本的な視点からすると、失敗の原因はもともとのイメージやコンセプトに あるようにみえるかもしれない。エンターテイメントは自分がこだわるものを買い集 め、気心知れた仲間と楽しむものという、「パッケージ志向」で「仲間志向」の娯楽 (「タマゴッチ」がその典型)に慣れている日本人からみると、インターネットを使 って各人が好きな娯楽の組み合わせを工夫し、不特定多数の他人と一緒に楽しみ競争 するというコンセプトがエンターテイメントの主流になるはずがないと思えるであろ う。つまり、インターネットの技術に引きずられて、本来のエンターテイメントのあ り方を忘れたことが失敗の原因という向きがあるかもしれない。

 しかし、本当の理由はそうではなく、むしろ米国では逆にイメージやコンセプトに インターネットの技術が追い付いていないためなのである。技術というよりも、イン フラが追い付かないというべきであろう。
 つまり、現在のインターネットでは、マルチメディアを駆使したテンターテイメン トを配信するのは、時間も費用もかかりすぎるのが実情である。特に、動きの速い動 画を必要とするゲームなどは、いまのところインターネットではとても無理である。
 いいかえれば、将来インフラが整備され、インターネットでも高速で大量の情報が 自由に伝達できるようになれば、新しいエンターテイメントがこれまでの「パッケー ジ型」を凌駕するかもしれない。

 しかし、その際のインフラとはどのようなものであろうか。それは決して、個人の 家まで光ファイバーが張り巡らされた状況ではないと思われる。そのようなインフラ の整備はあまりにコストがかかりすぎ、また当分は実現しえない。
 むしろ、多少は「仲間志向」の要素を残した、自分の生活圏における高速情報イン フラをそれぞれの地域の事情に合わせて主体的に整備するのが現実的ではないだろう か。自分たちのコミュニティから情報インフラを整備し、その中でマルチメディアを 駆使して、ゲームでもカラオケでも自分たちなりに楽しむことができれば、それが新 しい時代のエンターテイメントの芽生えとなるであろう。

 
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