「中国の覇権主義」について
孔 健

 「中国は覇権主義をすてていない危険な国だ」と主張する日本の中国通が少なくない。つい最近も、そうしたタイトルの本を目にした。
 そうした人たちの論旨は、「中国は中華思想の国であり、人民解放軍という軍が極めて強い発言権を持っている。人民解放軍を制するものが中国を制するといわれている国だ」そして、最近の軍事費が増大しているということを、その大きな根拠としている。

 私は必要以上に中国人民解放軍を弁護しようとは思わないし、その資格があるとも思わない。
 しかし、一人の中国人民として、中国覇権主義ー脅威論に対して、中国のおかれた立場からいささかの意見を述べておきたいと思う。
 人民解放軍はかつて毛沢東元首席によって、人民の海に入り人民とともに闘う軍と規定された歴史を持っている。つまり人民軍の”武器”は人海戦術による”人”だったのである。 中国人民が解放されたいま人民解放軍は国防軍的性格を持たざるを得なくなった。

 しかし、毛沢東の規定した”人民解放”と”人海戦術”という体質を止揚すりことはなかなかむつかしいものがあった。
 トウ・ショウヘイ氏が軍の指揮を握るにいたって初めて、欧米流の国防軍的体質に切り替え始めたのである。欧米流の国防軍は機械による武器が主力となっている欧米先進国はそれを長い期間でそれとなしてきた。しかし中国はそれを短期間でなさなければならない。そのために防衛軍事費が欧米、あるいは日本から見て”強大”に映るのだと思う。自分のところは原爆について完全に装備を終えた。このまま世界に原爆が増えつづければ世界は滅亡の危機にさらされる。だから原爆製造を規制あるいは禁止すべきだ、というアメリカを中心とした先進国の論理には、一見正論を装いながら強国のエゴがある。しかも、アメリカは、国際正義の名のもとにイラクに対しても、また麻薬撲威と称してパナマに軍を派遣している。また第二次イラク攻撃は、同じ先進国からさえ大義名文がないと批難されている。アメリカは世界の”ポリス”を任じているからというが、こうした行為は見方によっては覇権主義ではなかと思う。つまりは結局のところ自由の利益が、その根底にあるからだ。

 中国が軍事費を増やせば覇権主義といい、少し強気の発言をすれば同じく脅威論を言う。
 しかし、世界、特に欧米先進国は忘れている。かつて、中国ほど列強に蹂躙された国があったろうか。インドは確かにイギリスの植民地だった。しかし見方を変えれば一国による支配だった。闘う相手はイギリスだけだった。しかし、中国は世界の列強から、いいように占領されていた。その中で最も積極的だったのが日本とロシアだった。中でも日本の侵略は愚劣を極めた。この日本と闘うことが、中国独立の大きなテーマではあった。しかし、その影で、アメリカもイギリスも、ドイツも、ロシアも中国を日本よりも上品ではあるが侵略、占領をしていた事実を中国は忘れていない。
 そうした、”体験”を無視して(特に解放軍においてはそれが強い)、中国を覇権主義と主張するのは、間違っている。